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豊田礼人の基本的な考え方を
書いているメルマガです

2007/06/15

第113号【最低な自分・後編】

前回のメルマガ「最低なころの自分・前編」には、本当に多くの
反響を頂きました。ありがとうございます。あらためて、皆さん
読んでくれているのだな~と感謝しています。
さて、ダメダメ豊田はどうなったのか。受かったのか、それとも
もう一年やったのか・・!いよいよクライマックスです!

◎ブログ書いています。↓↓↓
ブログ『サンボー豊田礼人の散歩 a GO!GO!』
http://raymac2.exblog.jp/
◎ホームページへも、是非。↓↓↓
公式サイト
『サンボーがいたらな~と願う仲間に捧ぐ』サイト
https://www.raymac.jp

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■最低なころの自分【後編】 by 豊田礼人
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アートスクール出身の妻にとって、中小企業診断士は謎の資格だった。
弁護士は知っている。税理士もわかる。公認会計士もなんとなくわかる。
でも中小企業診断士はわからない。だから僕が説明する。

僕「経営に困っている会社を助ける仕事なんだよ」

妻「経営に困っている会社が、お金払えるの?それで食えるの?」

・・・女はいつもスルドイ。

「とにかく、人のためになる仕事なんだよ!」

こういうやりとりをしながらも、なんだかんだ応援してくれる妻の
ためにも、今年こそは受かりたいと思っていた。

*      *      *

そして、いよいよ発表当日。インターネットで発表を見た。
暗黒時代から抜け出せるのか、それとももう一年頑張るのか。
正直、仮に落ちていたとしても、あきらめる気持ちは毛頭なかった。
だけど、そろそろ勘弁して!というのが本心だった。

クリックしてページを開く。

・・・合格していた。

無機質な数字の羅列の中に、見覚えのある自分の番号が目に飛び込んで
きた。去年までは冷たく感じた数字だけの掲示板が、今日はとても暖か
く感じた。

いつまでも見ていたい気分だった。

*       *        *

春になり、中小企業診断士として無事に登録された。夢が現実にな
った。しかし、問題はこれからだ。今まではいわば準備期間だ。な
にしろ「食えない資格」だ。この資格でどうやって「食ってい
くか」の方が重大な問題である。

サラリーマンは相変わらず続けていた。仕事が終わった後や、休みの
日に中小企業診断協会が行う集まりに参加したり、仲間の診断士と情報
交換をしたりしていたが、独立のきっかけはなかなか訪れなかった。
独立するのは、やっぱり怖い。それに自分に独立できる器量があるとは
どうしても思えなかった。

そうこうしているうちに、ある事柄がきっかけで、勤めていた人材サー
ビス会社の社長と取締役をむこうにまわして大ケンカをしてしまった。

僕は今でも自分がした行動を正しいと思っているが、当時は最悪の状況
だった。それで、「これも神様がくれたきっかけだ」と思い、辞表を出
した。転職する気はない。独立しか頭になかった。

人材会社で働いていて、数知れない人の履歴書を見てきた。そこで転職
が上手くいく人といかない人の差は何だろうと常に考えていた。立派な
大学を出て、立派な会社に勤めていても、何らかの理由で辞め、そして
低いほうへ流されながら歳をとり、いつしか行き場が無くなる人がいる。
かと思えば、学歴こそ低いが、生き生きと仕事をしている人もいる。こ
の違いを生むのは、何なのだろう。他人の履歴書を見ながら、自分の人
生に照らし合わせ、色々なことを考えた。

その結果、仕事人として上手くいくかいかないかは、その人に「ストー
リー」があるか無いかで決まるのではないか、と思うに至った。

転職を同じ回数繰り返していても、ストーリーがきちんとある人は、次
も良い職場が見つかる。ストーリーが無い人は、厳しい。自分のやりた
いことが明確にあり、それに沿って行動してきた人は評価される。それ
が社会だ。その場しのぎで逃げてきた人は、いくら優秀でも、評価され
ない。ストーリーは、つまりその人の戦略だ。

僕のストーリーは、コンサルティングの仕事がしたくて、中小企業診断
士を目指した。それがきっかけで新卒で入った会社を辞めた。それで食
うためにベンチャーで働きながら、資格を取得した。それなのに、「怖
い」という理由で独立しないということは、ストーリーがつながらない。
たとえ失敗したとしても、チャレンジしたという事実はストーリー的に
はつながる。だから必ず人は評価してくれるはずだ。そういう読みがあ
った。

しかし子供を生んだばかりの妻は、さすがに戸惑った。印刷会社を辞め
た時のように、自分が働きに出ることもできないからだ。中小企業診断
士に対する「霧」が晴れていないことも大きいのだろう。独立しても
「客」のあては無い。収入がゼロになる。その恐怖に心臓が止まりそう
になる。

でも、後戻りはできない。辞表は受理されていた。社長との関係も壊れ
てしまった。
※注)後日この社長とは和解し、今でも仕事面で支援して頂いている。

サラリーマンの子供が、サラリーマンとして生き、ある日、独立する。
これは本当に恐ろしいことだ。いきなり大海原に小舟で放り出されたよ
うな気持ちになる。親もサラリーマンだったから、独立して自営する身
近な見本がいない。まさに未知の世界だ。

その時、神風が吹いた。

辞表を出した日の2日後に、電話が鳴った。妻が受話器をとった。

妻「はい、豊田です。え?先生いますかって・・? あ!ちょっとお待
ちください」

僕「誰?」

妻「知らない。でも豊田先生いますかって言っているわよ。あなたのこ
とじゃないの?先生なんて、笑っちゃうけど。」

売上が減ってきて困っている会社からの問い合わせだった。僕が地道に
運営していたホームページと毎週発行していたメールマガジンを見て電
話をしてくれたのだ。これも、たまたま読んだ本に「独立したいのなら、
ホームページを作って、メールマガジンを発行せよ」と書いてあったの
を真に受けてやっていたものだ。あらためて情報発信の大切さを思い知っ
た。

ついこの間までダメダメ受験生だった自分が、いきなり「先生」になっ
てしまった瞬間でもあった。(先生面する気はさらさら無いが)

さっそくその会社に出向き、経営者からヒアリングをした。そして、夜
を徹して作った企画書を持って、再び訪問した。見積書とスケジュール
表もつけた。内容は、売上増加のために会社として取り組むべきことの
整理整頓をメインにしたものだ。決して奇抜なアイデアではない。熱意
を伝えるのみだ。

こっちは資格をとるために、8年もかけたのだ。この崖っぷちで負ける
わけにはいかない。赤ん坊とローンを抱えて収入ゼロになるかも知れな
いギリギリのところに立っている。これほど大荷物を背負ったプレゼン
は生まれて初めてだ。額から汗がダラダラ流れる。そのオーラが目の前
の男たちに通じたのか。

契約成立。
年間300万円の1年契約。

「とりあえず、食える・・。」

率直な気持ちだった。

その会社から出てきた時、マジで飛び上がった。仕事中に飛び上がった
のも生まれて初めてだ。カバンを放り投げてグルグル振り廻したい気分
だった。「ヤッホー」とは、こういう時に使う言葉なのだ、とその時知
った。

この世には、空白ができると空白を埋めようとする力が自然に働く、と
カリスマコンサルタントの神田昌典さんが言っていた。まさにその体験
をした。ダイヤモンドをつかむためには、今握っている小石を手放せ、
ということなのかもしれない。とにかく目に見えない力が働いたとしか
思えない。辞表を出した2日後に問い合わせの電話が鳴るなんて、ある
意味ホラーだ。

試験に落ち続けていた時は、

「神様なんているわけがない」

と思っていた。

でも神様は、確かにいたのだ。

*       *        *

契約書を取り交わし、コンサル業務が始まった。
はっきり言って、ペーパードライバーのコンサルタントだ。
でもやるしかない。やらなければ死ぬ。必死で調べ、質問し、提案した。

クライントに深く入り込むと、色々なことが見えてくる。外部の者だか
らこそ見えることがたくさんある。それを整理して指摘する。具体的行
動を一緒に考える。当然出来ることと出来ないことがある。だから出来
ることをコツコツやる。一回提案しても、分かってもらえないことの方
が断然多い。だからタイミングを見計らって何度も提案する。

「何となく」やっていたことをルール化し、紙に書く。日々の販売デー
タを集計し、グラフにし、見える化する。会議を主催する。議事録を作
成する。当たり前のことばかりだが、中小企業は出来ていない。やって
当たり前のことをやるから、徐々に効き出す。そもそもやるべきことを
やっていないのだから、やるだけで効果が出る。少しずつだが結果が出
始めた。

毎日必死だった。結果がなかなか出ないときには、契約を解除されるの
ではないか、と胃が痛くなった。でも、独立とはそういうことだ。結果
次第で仕事を失う。その緊張感の中で、やれるだけのことをやる。

本もたくさん読んだ。コンサルスキルを上げるためのセミナーにも出た。
メルマガ読者を増やすために、有料広告も出した。売上を上げるために、
必要なお金はどんどん使った。

そういう活動を続けるうちに、メルマガの読者も増え、ポツ、ポツと問
い合わせが入るようになった。また、こういう僕の活動をみて友人が仕
事を紹介してくれたり、旧知の社長からコンサル依頼が来たりして、ビ
ジネスがまわり始めた。小学校時代の友達が地元の商工会でのセミナー
の仕事を回してくれたりもした。

ロゴマーク作成サービスも好評で、何件か受注した。これは優秀なグラ
フィックデザイナーだった妻が担当するメニューだ。僕が社長の思いを
しっかり聴いた上でデザイン案を提案するので、100%気に入ってく
れる。これは、ただ予算を消化していた印刷会社時代の反省が生きてい
る。人生で経験することで無駄なことはないのだ。

僕のコンサルの特徴は、財務視点をしっかり押さえた上で、販売戦略を
構築し、社長・社員さんと一緒に具体的行動を考え、実行していくこと
である。経営数値に疎い営業畑・技術畑出身の若社長の参謀として期待
されている。

目標に比べてまだまだ満足できるレベルの仕事では無いが、試験に落ち
続けていた「どん底最低悶々時代」には考えられなかった状況で仕事を
させてもらっている。試験に受かることだけが目的化し、実際にコンサ
ルの仕事をすることなど全くイメージできなかった暗黒の時代。それを
今は実践している自分がいる。このギャップに本当に驚く。

自分の無力さを思い知り、落ち込むこともある。しかし、名古屋で最も
実力があり、最も親身で、信頼感抜群のコンサルタントを目指し、今日
も頑張るのみだ。

中小企業診断士で食えるのか。この大命題の答えを探るべく、ただいま
実験中だ。豊田のストーリーの結末はどうなるのか。ハッピーエンドか、
それとも波乱万丈か・・

人生は思い通りにはならない。3度目の正直という言葉も、たぶん嘘だ。

でもあきらめないで粘ったときに、何かが起こる。それは神様なのか、
宇宙の力なのか。

ある会社の社長が言ってくれた言葉が印象的で、今も頭に残っている。

「豊田君、君のやろうとしている仕事は大変な仕事だと思う。
でもそれは、本当にいい仕事だ。だから、頑張れ」

僕を必要としている人がいる限り、必ずその人を助ける。それを可能にする
だけの力をつけるために日々努力する。あきらめずに頑張りたい。

なんとかして、妻の頭の中の霧をスカーッと晴らしたいし。

今、そんな気分だ。

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■編集後記
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どうでしたか?2週に渡ってお送りした「最低な自分」。少しでも
豊田のことが分かって頂ければ、幸いです。

さて、先週もお伝えしましたが、今月21日水曜日に、僕が関わって
いるメイドインジャパンプロジェクトというNPOのセミナーがあり
ます。僕も20分間でミニセミナーを行います。時間がある方は是非
遊びに来てください。以下のHPから問い合わせてください。当日
ふらっと来ても、たぶん大丈夫だと思います。
http://mijp.jp/event/reikai3.pdf

では、また来週会いましょう。

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