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豊田礼人の基本的な考え方を
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2007/06/08

第112号【最低な自分・前編】

このメルマガも発行開始から丸2年たちました。多くの人に励まさ
れ、ここまで続けてくることができました。本当にありがとうござ
います!

そこで、今週から2週に渡って、「特別編」といたしまして、
「最低なころの自分」と題し、僕の恥ずかしい過去をさらけ出しま
す。

いつもよりちょっと長くなりますが、ダメダメ豊田を笑って読んでや
ってください。では、ハジマリハジマリ~。

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■最低なころの自分【前編】 by 豊田礼人
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「何者かになりたい」

そんな気持ちをずっと心の奥に持っていたが、具体的に何がやりたいか
が分からず、ただ漫然と「サラリーマン」として生きていた。

新卒で入った印刷会社は立派な会社だったが、仕事は退屈そのものだ
った。

「なんとかしなくちゃ、なんとか・・」

と入社してから毎日思い続けていた。決してオーバーではなく、本当
に毎日そう思っていた。

そんなとき、「中小企業診断士」という資格に出会った。そして、
「何もしないよりはマシ」くらいの気持ちで、資格取得に挑戦し始め
た。

そのころから、印刷会社の仕事も徐々に面白くなってきた。大手クラ
イアントを任され、日々忙しく過ごしていた。やり手の上司に可愛い
がられ、将来を期待されていた。クライアントの「売りたい」を形に
する販促物制作の仕事のコツも分かり始め、クライントからの信頼感
も増していった。どんなデザインがいいのか、どんなコピーがいいのか、
どんな色がいいのか、毎日そればかりを考えて、動き回る生活だった。

しかし、大企業であるクライントは「予算を無難に消化する」ことが
最大の関心事で、マーケティング的な視点は皆無だった。お客さん
(ユーザー)の気持ちはほとんど無視されていた。とにかく見栄えよ
く間違いなく作りさえすればよい、という世界。こういう大企業の考
え方に疑問を持つようになってきた。

自分に実力もついてきて、社内での発言力も増してきたが、資格をと
ってコンサルティングの仕事をしたいという欲求もだんだん強くなり
始めていた。本当に売れるマーケティングを実践してみたい。自分の
力で人生を切り開いてみたい。そんな気持ちだった。

そんなとき、30歳になっていた僕に、部長が言った。

「豊田、次はお前が課長だぞ」

正直びっくりした。僕より年上の先輩は他に何人もいるのに、その人
たちを飛び越して課長になれるというのだ。30歳で一部上場企業の
課長というのは悪くない出世だ。でも、不思議なことに、まったくワ
クワクしなかった。むしろ、

「ヤバイ。このまま管理職になったら、ますますこの会社から抜け出
せなくなる。オレは本当にこの仕事をやり続けていいのか?」

と思っていた。ヤバイヤバイヤバイヤバイ。早く何かを決断しなくて
は、手遅れになる・・。何かを何かを・・何を?

そうこうしているうちに、中小企業診断士の1次試験に合格した。4回
目のチャレンジでやっとのことだった。最初の2回は適当に受けていた
から仕方ないというものの、正直時間を掛けすぎた。が、自分にとって
は大きな出来事だった。

「今だ!」

気づいたら辞表を部長に出していた。本当に体が勝手に動いたという感
じだった。妻も賛同してくれた。それが何より嬉しかった。

しかし翌日待っていたのは、部長からの嵐のような説得攻撃だった。
「考え直せ」と。何度も話し合いを重ねた。でも、このきっかけを逃し
たら次はないような気がしていた。だから、押し切った。部長も最後は
あきらめて、

「わかった。でも失敗したら、いつでも戻って来い」

と言ってくれた。素直に嬉しかった。

*       *        *

退職したあとは、午前中は知り合いの会社で経理の手伝いをし、午後は
2次試験の勉強に取りくんだ。妻は働きに出た。いつも僕を応援してく
れる彼女だが、内心は不安だったろうと思う。それを感じてさらに不安
になった僕は、1次試験合格をひっさげて(笑)コンサル会社の就職面
接を何社か受けた。しかし結果は全部不合格だった。

「資格取ってからまた来てください」

至極当たり前の話だ。誰がこんな中途半端な男を採用するものか。

あらためて、世間の厳しさを感じた瞬間だった。自分の甘さにあきれも
した。根拠のない自信が、グラグラと揺らぎ始めた。このとき、自宅に
戻るバスの中で、突然背筋が寒くなった。

「オレ、道を誤ったのか?」

まだ2次試験を受ける前であるにもかかわらず、弱気な自分が顔を出し始
めた。

「本当に会社へ戻るって言ったら、部長なんて言うかな・・」

そんな後ろ向きの声を振り切り、再び勉強を続ける日々に戻った。

受かるしかない。やるしかない。受からなかったら、オレは終わる・・。
そう自分にプレッシャーをかけながら机に向かった。

10月の試験当日、無我夢中だった。そして、2ヶ月後の結果発表
の日を迎えた。

・・落ちていた。

人生をかけたはずの決戦であっけなく敗れてしまった。
不合格を知った日、目の前の全ての光が、消えた。

落ち込む僕を見て、妻が怒った。そして泣いた。

*       *       *

試験には失敗したが、生きていかなければならない。稼いで、
食わなければいけない。

運よく、お手伝いをしていた会社の社長に誘われて、その会社に入社
した。人材サービスのベンチャー企業である。そこでは「稼ぐ」ため
にひたすら頑張った。結果も出し、周りからも認められた。
「資格試験崩れ」の汚名を晴らすことに集中した結果だった。

でも、資格をあきらめたわけではなかった。

「何のために上場企業を辞めたのだ」

その思いが常に頭を支配していた。働きながら予備校に通い続けた。
予備校内での成績も上がり、全国模擬試験では合格圏内をキープして
いた。

そして秋に試験を受け、冬の結果発表の日が来た。

・・・また、落ちていた。

理由は分からないが、現実は厳しいということなのか。
人生は本当に思い通りにならない。
神様なんていない。いるわけがない。
受け入れたくないが、受け入れるしかない。
認めたくないが、認めるしかない。
しかし、あきらめきれず、もう1年頑張った。
秋が来て、そして冬になった。

・・・またまた、落ちた。

この頃になると、僕の前で「資格」とか「試験」とか「合格」とい
う言葉は禁句だった。妻には非常に気を使わせた。会社でそういう
方面の話題になりかけると用もないのに席を立って、その場から逃
げた。

ここまで頑張っても成し遂げられないこの「中小企業診断士」という
資格は一体何なのか。それほど価値のあるものなのか。

経済産業大臣が認可するこの資格のキャッチフレーズは、

「経営コンサルタントの唯一の国家資格」

というものだ。日本版MBAと呼ぶ向きもある。いくら何でも言い過
ぎである。が、試験内容の面白さからか、今でも根強い人気のある
資格ではある。但し、法律で守られた「独占業務」があるわけではな
く、資格取得後に独立開業する人はごく少数派である。つまり「食え
ない資格」の代表格とさえ言われるものである。

合格率は1次、2次とも15~20%くらい。1次試験に合格すれば、
2次試験を2回(当年と翌年)受験する権利が得られる。合算すると
4.5%~8%くらいの合格率である。結構なものである。僕のよう
に何年も受からない人もいれば、1~2年で合格する人もいる。特に
2次試験は論述式で正解が見えにくい種類の出題が多いので、合否の
理由を結論づけにくいことが受験生を悩ます。そして泥沼化する。

自分の夫の人生を支配しているこの「中小企業診断士」という得たい
の知れないモノの正体を見極めたい、と思っていた妻は、ある行動に
出た。

天気の良いある平日の昼間、妻は自転車で買い物に出かけた。いつも
のスーパーで食料品を買った後、道端の電信柱にふと目をやると、あ
る看板が目に飛び込んできた。

税理士/中小企業診断士 ○○△△(名前)
電話番号 052-×××-××××

妻にしてみれば、生まれて初めて目にした世間での「中小企業診断士」
という看板。実際にこの名称で商売をしている人がこの近くにいる・・。
その人に会って、この資格の実態を確かめたい。そう思った妻は、その
看板主の先生の事務所へアポ無し訪問した。

「すいませーん!中小企業診断士って商売になるのですか?
ウチの旦那が取り憑かれちゃって・・。先生!教えてください!!」

・・しかし、あいにくその先生は外出中で、代わりにアシスタントの
オバさんが親切に対応してくれた。

「あら、ご主人がそんなんなっちゃって。あなた、心配なのね・・。
ウチの先生はもともと税理士として仕事していたのだけれど、
仕事の幅を経営コンサルティング業務にも広げたくて、中小企業
診断士を取ったのよ。そう・・ご主人が・・。大変ね・・。心配よね・・。
でもウチの先生、まだ中小企業診断士としての仕事を受けたこと
は無いみたいなのよ・・。やっぱり税理士の方が定着しているからね・・。
そう、ご主人頑張っているのね・・。あなたも頑張っているのね。
応援しているわよ。また来てね」

そう言われて、妻は帰ってきた。妻の頭の中の霧は晴れないままだった。
この話を聞いた僕は、僕のことを必死に考えてくれる妻のありがたさを
知り、泣きそうになった。(※後日この話を聞いたコンサル仲間から、
「奥さんのその行動力、 お前よりもコンサル向きだ!」と言われた・・)

そして、まだ資格は取れていないけれど、仮に取れたとしても、その後も
大変そうな資格だな・・と思い、暗くなったのだった。

そしてまた秋が来た。2次試験に限れば、5回目の秋になる。この年も予
備校の成績は良かった。しかし、そんなものは全く無意味であることは、
百も承知だった。まったく興味は無かった。誰も信じない。試験当日信じ
られるのは自分だけ。自分で何とかするしかない。

この数年間、一緒に勉強していた仲間は、受かるか、もしくはあきらめて
消えていった。当然だが、後者の人の方が多かった。受かりもせず、
辞めもせず、まだ続けているのは自分くらいだった。予備校の先生は
何年も受からない僕を「ハレモノ」のように扱った。そりゃ、先生だって
イキの良いニューフェースを短期間で合格させた方が、評価は高まるし、
自分も楽しいのだろう。しかし、一番お前らに金払っているのはオレ様だぞ!
ロイヤルカスタマーだぞ!!そう叫びたかった。

弁護士でもなく、公認会計士でもなく、税理士でもなく、中小企業診断士
である。果たして、ここまでこだわる価値のある資格なのか?そう何百回も
自問した。でも決まって答えは一つ、「コンサルティングの仕事がしたい」

資格を取ったからといってコンサルティングの仕事ができるわけではない。
要は実力次第だ。資格なんて無くたって、コンサルティングの仕事をしてい
る人はたくさんいる。逆に、資格を持っているだけで、活用していない人
もたくさんいる。

でも僕はあえて資格を取りたかった。ここまできてあきらめたら、一生後悔
することは目に見えていた。スッパリあきらめられるほど器用でもない。
何より、自分をゴマかすのが死ぬほどイヤだったのだ。

試験会場の自分の席に座った。1年ぶりだ。皆なんだかんだ自分に理由をつ
けて辞めていった。僕だって、座りたくて何度もこの席に座っているのでは
無い。だけど、その時思った。

「この席まで歩いてきて、そして座らない限り、絶対に合格は、ない」

負け続けてきたけど、そもそもここに来なければ、勝負さえ始まらない。
逃げ出さなくて良かった、と思った。家庭の事情で勉強をあきらめた人が
いる中で、続けさせてくれた家族にも感謝した。

勝つ自信は相変わらず無かったけれど、勝つための準備はしてきた。
そして、今日、ここに来た。

320分の死闘が始まり、そして終わった。現実の仕事に比べたら、ちっ
ぽけな戦いかもしれない。しかし、このときの自分にとってはまさに生死
をかけた戦いだった。

*       *        *

そして冬が来た。発表の日の朝、職場でパソコンを立ち上げた。
インターネットで結果を調べるためだ。
同僚の手前、平静を装っているが、内心は心臓が口から飛び出しそ
うなくらい緊張している。

念願かなうのか、それとも、やっぱりダメなのか・・。

さて、結果は・・・・。(後編につづく・・!)

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■編集後記
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どうでしたか?最低でしょ?後編は来週ということで、お楽しみに。

今月21日水曜日に、僕が関わっているメイドインジャパンプロジェ
クトというNPOのセミナーがあります。僕も20分間でミニセミナ
ーを行います。時間がある方は是非どうぞ。
http://mijp.jp/event/reikai3.pdf では、また来週会いましょう。

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(第112号終わり)

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